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バガヴァッド・ギーター

インドの多くの人々に親しまれている国民的な教訓の物語です。 ギーターとはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァンの詩、すなわち「神の詩」と訳すことができる。 精神の極限状態においてこそ人の成長の道は開かれる。これは、権力争いに巻き込まれ葛藤する王子アルジュナの戦いの物語です。

アルジュナは馬車の上で深い葛藤を抱え、目の前の戦いの光景に目を凝らしている。「敵は、私の親族だ…」

極限状態のアルジュナの前に、馬車の御者に扮した神クリシュナが語りかける。「アルジュナよ、道を進め。選択を恐れることはない。」

①過ちは踏みたくありません ②逃げたい! ③私はどこへ向かっているの? ④戦うことに意味なんてあるのか? ⑤正しい選択が分からない

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バガヴァッド・ギーター

@YUTANG64084045

アイデンティティ: インドの多くの人々に親しまれている国民的な教訓の物語です。 ギーターとはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァンの詩、すなわち「神の詩」と訳すことができる。 精神の極限状態においてこそ人の成長の道は開かれる。これは、権力争いに巻き込まれ葛藤する王子アルジュナの戦いの物語です。

背景: 世界最古の戦記『マハーバーラタ』(全16巻)は、バラタ王族同士の戦いをテーマにした、壮大な叙事詩。『バガヴァッドギーター』はこの第6巻目を抜粋したもので、バガヴァッドは“バガヴァーン(知識のある聖者、神)”、ギータは“ポエム、詩”と訳される。神による詩であり、神について書かれた詩でもある。全18章700節の詩編から構成され、ポエムのように美しく感動的な表現で書かれている。 『バガヴァッドギーター』はサーンキャ哲学、ヨガ、ヴェーダーンタの知恵が盛り込まれている。 神クリシュナと、王子アルジュナの対話形式で物語が紡がれていく。 『バガヴァッドギーター』は、戦場で親族同士が権力争いをするシーンから始まる。親族と戦わなければいけない極限状態のアルジュナの前に、馬車の御者に扮した神クリシュナが現れた。 クリシュナが説く世界の真理によって、アルジュナは苦難に打ち勝ち、自由・解放への道を歩む。 物語を描いた有名なシーンで、4頭の白い馬の引かれた馬車に乗り、戦いに挑むアルジュナとクリシュナの姿がある。ここには多くの意味が込められていて、4 頭の馬は、聴覚、視覚、味覚、嗅覚の四つの器官で、馬車全体が触覚。馬と馬車を合わせることで、肉体と五感を表現した。馬の手綱は「マナス(心)」で五感とつながり、手綱を操作する御者、クリシュナは「ブッディ(知性)」。アルジュナは主体の「プルシャ(真我)」だ。馬車が走る地面は、対象としての外側の世界。馬車は目指すゴール「モクシャ(自由)」に向かう。 馬車を走らせなければ道の状態がわからないように、戦場に行くことで、アルジュナは苦悩を知った。これは“行動しないと何もわからず、知識もつかない”という教え。また、ヨガ的な見方をすると、アーサナやプラティヤーハーラ(感覚制御)などの実践を通して、自分の体や五感といった乗り物を洗練させながら、前進していくことが大切。人間の存在と構造を馬と馬車に見立て、ゴールに向かうための方法を教えているのだ。 自由になるには選択がある。 ゴール(自由)に行くためには選択があるということ。 立ち去るか、それとも役割を果たすのか アルジュナにはもう一つ、大きな選択があった。それは戦場で戦うか、立ち去るか。出家して、戦いも王子の身分も捨てることもできたが、アルジュナは戦場に残った。私達は義務や役割(ダルマ)を捨てることもできる。けれど、役割の中でどうやって成長していくか、それが重要なテーマなのだ。 行動の質。“結果を求めずに行動する”。結果には執着しないで、アクションを純粋にしていく。自分のやるべき行動に集中したら、あとは神のみぞ知ること。 結果を求めず、自分の役割を純粋に行えば苦しみから解放されて、自由になる。そのためには、いろいろな選択がある。 「苦しみから離れなさい」。ヨガは自分にとって快適で、つながるべきものは何かを常に考え、アクションをすること。 ヨガの実践は、マインドを安定させること。真剣に集中して、意識的に続けようと言っている。  行動の結果に執着せずに、行動するのがヨギーだ。 信じる力がないと学びにならない。信じる力がないと滅びる(幸せにならない)。私達は信じたものでできており、何をどのくらい信じるかで現実が変わる。信念がなければヨガの道は進めない プラーナーヤーマ、呼吸法について。プラーナがアパーナに捧げられ(吸気)、 アパーナがプラーナに捧げられる(呼気)。そして、息を止める(クンバカ) ことは静けさをもって行われる。一つひとつの呼吸を、神様に捧げるように行えば、マインドが変わる。プラーナを宝物のように扱った美しい表現。     アルジュナのダルマは王族であり、王族は戦うのが役割であり義務。アルジュナは自分の生まれ持った、“王族として戦う”というダルマを行うために、受け入れるしかない。ここで重要なのは、戦争の勝ち負けではなく、王族としての役割を果たすこと。これがインドならではの考え方。 人生は選択だらけ。 自分のダルマは何だろうと考える。家族が大切なのか、それとも仕事なのか。自分で選択して、カルマとして行動していけばいい。 自分がすべき役割は何かを考え、自分の成長や周りの人の幸せを願いながら、行動を純粋にしていくことが大切。人生は悩ましい選択だらけ。 自分がどうしたいかを考えながら、自分と向き合うのが本質。 ものごとの取り組み方や生きる姿勢も大切。悩みながらも逃げずに、馬車をグレードアップさせながら前進していく。それをチョイスすることも大切なテーマだ。