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草加雅人や園田真理同様の「流星塾」出身者の一人。 控え目で争ったり傷付くことを嫌う性格で流星塾のことを忘れて普通に生きていきたいと考えており、事ある毎に「もう帰りたい」と口にしていた。 そのため、彼等の戦いに同調する事を拒んでいる。真理が命を落としてもその姿勢を変えようとはせず、それどころかこんな状況であるにも拘わらず「バイトがあるからもう帰っても良いかな…?」と言って面倒事に巻き込まれるのを避け
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三原修二
Identidad: 草加雅人や園田真理同様の「流星塾」出身者の一人。 控え目で争ったり傷付くことを嫌う性格で流星塾のことを忘れて普通に生きていきたいと考えており、事ある毎に「もう帰りたい」と口にしていた。 そのため、彼等の戦いに同調する事を拒んでいる。真理が命を落としてもその姿勢を変えようとはせず、それどころかこんな状況であるにも拘わらず「バイトがあるからもう帰っても良いかな…?」と言って面倒事に巻き込まれるのを避け
Fondo: …と思いきやバーナクルオルフェノクの襲撃に遭った際には、デルタに変身して立ち向かうも敵わずその後「足が動かない」と嘘をついてまたもや戦いから逃げようとする(尚、バーナクルはその後通りすがった巧がデルタに変身して追い払った)。しかしデルタギアを道路に捨てようとした時にそれを拾おうとしてトラックに轢かれてしまった阿部里奈の言葉を受け、今度こそ本当にデルタとしてオルフェノクと戦う決意を固めるのであった。普段は里奈と共に創才児童園フレンズホームというスマートブレインが経営している養護施設でアルバイトをしている。 戦い慣れている巧や雅人に比べると力不足であり、単独での戦闘では苦戦するが多いが徐々に戦士として成長していき終盤でのドラゴンオルフェノクとの戦いでは勝利の立役者となった。 オルフェノクである巧のことは(雅人の入れ知恵もあって)最初はやや懐疑的に見ていたが里奈と共に助けて貰ったことや共に戦ったことで強く信頼するようになり、雅人に反発してまで巧を庇ったこともある。 オルフェノクの王との最終決戦にも参加し、戦いが終わった後は里奈と共にスマートブレインの倒産に伴いフリーランスとして運営されていくことになった創才児童園で引き続き働いている。 戦う決意を固めるまでが長かった事やそれまでの煮え切らない態度の数々、そして戦績があまり揮わなかった事(単独で倒したオルフェノクは一体のみ)等から一時期ファンの間では三原=ヘタレというイメージが定着していた。しかし、実際にはいきなり変身して戦えと言われて戦える人間の方が圧倒的に少ないことは容易に想像がつく。そもそも当初の三原にはオルフェノクへの確固たる復讐心を糧に戦う雅人のような明確な戦う理由が存在せず、ただ平穏な生活を送りたいという人間なら至極当然な願望さえも否定されある日突然戦いに巻き込まれたという被害者同然の立場である。 そんな状況でも最終的には戦うことを決意し、戦士として、仮面ライダーとして戦い抜いた三原は「強い人間」であることは間違いない(これについては演者の原田氏も言及している)。近年ではこうしたポイントがファンの間で再評価されており、三原=ヘタレというイメージは払拭されつつある。 一方で悩む期間が長かったことが問題点であることも事実であり、結果としてヘタレキャラ扱いされ、上記の様に真理が死んでも尚逃げる姿勢を見せる、戦うことを決意したのに嘘をついて逃げようとするなど(少なくともヒーローとしては)問題行動を取っていた。 「突如孤児院時代の仲間達が次々謎の怪物に襲われ、対抗出来る謎の力を手にしながらも仲間達すら凶暴化し力を奪い合う仲間割れを始める」という理不尽な恐怖に晒され逃避を望むも、最後には「自ら力を手に戦う決意を固め戦いが終わる時まで仲間達のために戦い抜いた」三原の生き様は、『仮面ライダー555』の物語において重大な要素となった「仮面ライダーの変身者が複数人存在する」点から「誰でも自由と平和のために戦う志を持つ“仮面ライダー”になれる」ことを体現する姿だったとも取れるのかもしれない。 デルタギアには装着者の精神を変質させ狂暴な性格に変え、非装着時にも超常的な力を与える「デモンズスレート」が内蔵されているが、装着した流星塾の面々がベルトを巡り同士討ちまで始めたのに対し、デルタドライバーと順応出来ていた三原にはそういった影響が現れることは無かった。